手術前夜。病室へ行ったらオカンのヘアスタイルが変わっていた。上手にカットしてくれていた。

切られて開けられる所は綺麗に剃られて。怖い。。。
本当に良いのだろうか、、良かったのだろうか、、ときっと私は自分に一生問いかけ続けるのだろう。

メモとペンとくれというオカン。まるで最後かのように何か伝えたいようだったが、何を書いてるかさっぱり解らない。
手術が終わったら伝えたい事が伝えられるようになってるといいね。というかそれは私の願望であり、
どんな方向であれオカンが望んでる事が叶ったらいいなと思う。

そして手術が終わり、数日経った。自身の体調不良もあり中々書く気力もなく遅くなった。
3月26日が手術日だった。4月と言われていたが担当医が代わり早くしてもらえたのだ。
担当だったチャラい先生が今月末で移動になるとの事で手術を含め引き継いで下さったのがその上司の方。
さすがベテランだけあって手術の段取りも素早く、日々状態が悪化していくのが解っていながらそれをダラダラ待つような状況に疑問を抱いてこともあり先生の迅速な対応に感謝した。
そしてこれまた冗談も言える感じの壁を感じない話しやすい先生。
元の先生だったら何かとスムーズにはいかなかったろうと思う。
普通このタイミングで担当医が変わるなんて不安定に働きそうな気がするがオカンの場合はラッキーだった。
手術日はあいにくの雨。恵みの雨となりますように願った。
雨の中チャリで病院まで行くのは今回入院して初めてだ。
また今回のストレスがたたってか数年ぶりに私が風邪を引いてしまい、
また予定外に生理まで来てしまうというこのタイミングで絶不調。
風邪が移っては大変だしこんな病人が重症患者に寄り添ってるなんてどう考えても良くないのだが、寄り添ってられるのは私しかいないのでマスクを何枚も重ねてこれで大丈夫だろうと思い込ませる感じで。
この悪条件が重なる感じ、病院行くのに車に轢かれてもおかしくないようなキチガイ運を抱いてる気がして、より一層気を引き締めてチャリを走らせた私。
手術は朝9時からスムーズにいけば6時間を予定。
こないだ手術日を伝えたらまるで他人事のように反応薄かった糞ジジイ。
そしてどうでもいい事ではすぐ仕事休むくせに、手術の日は仕事だとぬかしやがる糞ジジイ。
そして手術当日、朝7時。
起きたら糞ジジイも起きてて何やら準備していた。
仕事なら寝ている時間帯。え?まさか病院行く気?
「今日仕事ちゃうん?」と聞いたら、今日は仕事休み(定休日)やと言う。
ほんと適当なことばかりいう。
手術前にケンカにでもなって無駄なエネルギー使いたくないので、
お前こそ頭の病気じゃないのかと心の中で突っ込んでひとまず終わらせた。
そんな訳で糞ジジイはマイカー、私はチャリで病院へ。
別行動。完全に壊れてる家。
ついたら手術着に着替え穏やかに寝ていたオカン。興奮状態じゃなくて良かった。
そして目を開けて糞ジジイの顔を見たとたん笑うオカン。

その仕草は乙女そのもの。
このような状態になっても糞ジジイに対する不信感な発言を度々耳にしたが、好きだからこその発言なんだね。
私は違うとハッキリ言っておくが。
手術室に入る前はこれが最後という事になるかもしれないという気持ちで送り出しはするが
こういう時にかける言葉が見つからない。
今回死の宣告をされて最後の最後にどんな言葉をかけようか考えてみたが本当に見つからない。
こんな残酷な世界はなくなってしまえと思ってるし二度と産まれたくないと思ってるからドラマとかでありそうな「産んでくれてありがとう」とも言いたくないしみたいな。
大切な人に最後にかける言葉も見つからないなんて、残酷さで満ちた一体どれだけ悲しい世界なのか。
手術室に入る前、珍しくオカンから手を握ってきた。
今から手術だというのは解ってたんだろうか。
そして私に「来てくれたんやね」と目を潤ませていう。
手術前夜、看護師さんは手術の事を理解してるようだ、今日はまともだったと言っていたが、私が行ったときはご飯の食べ方も解らなくなってる気配を感じた。
そして機嫌が相当悪かったというのもあるが、あれだけ毎度がっついていたご飯も一口ほどしか食べずで。
そして話を聞いていると私が死んだ、もしくはどこか遠くへ行ってしまった事になっているようだった。
オカン「来てくれたんやね」
わたし「今から手術やで。オカンは生命力強いから大丈夫やで。」言葉が見つからない中出た言葉で手術室に送り出す。
延命措置的な位置づけの手術だけど命を縮める可能性だってある訳で。
何が起きてもどんな状況になろうとも覚悟はできているがやはり当たり前に緊張した。
だけど大腿骨骨折の時、大腸がんの時、腎臓結石の時、肺ガンの時、
今回の脳腫瘍で5回目の手術。
手術待合室での時間の過ごし方にずいぶん慣れてる自分がいて。
去年の肺ガンの手術が最後でもう2度とこの部屋で待機する事なんてないと思ってたのにね。
しかも脳の手術だなんてね。。
それに向き合うたびに自分自身は成長している?それが何?
昔は辛い出来事を乗り越えるたび人生が有意義なものになる、苦労は人生において収穫でしかないと考えていたが、
今はそんなんなもの知らないしどうでもいい。
動物問題に向き合ってそう思うようになった。
私が苦労したところで動物が救われる訳じゃない。
今日もあっちこっちで人間の都合で犬や猫がガス室に放り込まれ殺され、毛皮や肉や人間の嗜好品の為に檻に詰められ精神異常をきたすほど苦しむ時間を送るしかない、生きたまま殺されていく動物達がいる。
世の中には魂のレベルアップを目的にして生きてるような人が沢山いる。
そしてそういうスピ系の方達の多くは、いわゆるプラスといわれる視点で生きることで良い現実を引き寄せる的なことを言うが、
現実社会は病みまくって病みまくって病みまくる一方だ。
動物達は虐げられ続け問題は改善されるどころかとにかく酷い。とことん酷い。
結局魂の成長を意識したところで自己満足で終わるだけではないのか。
社会的弱者はどんどん追い詰められ、資源もどんどん食い尽くされこの地球がどんどん破壊されていく。
そんな者たちの声には耳を傾けず今さえ良ければいいという人間の欲どおしさがそこら中に溢れている。
それぞれの魂の成長は今このとき最高に積み重なっているはずなのに、現実はひどくなる一方。
個々の魂の成長はこの醜い社会を少しでも良くしていくために大して役に立ってないではないか。
手術開始から約3時間経った12時30分ごろ。
担当の看護師さんらが何やらバタバタしだした。
聞くと「今手術終わったと連絡ありました!」と。
そして部屋が移動になるので準備してくださいとの事。
え、、ちょっと待って、、約3時間だなんて。あまりにも早すぎる、、
手のつけようがない状態だったら開けて早々に閉じることもあると聞いていたから、失敗だったのだと思った。
なんて事をしてしまったのだろうか、一体私はなんて選択をしてしまったのか。。
ただ傷つけた、ダメージを深くしただけではないのか、、そんな気持ちでオカンの帰りを待つ。
手術は担当の先生ともう1人ベテランの部長クラスの先生が2人でやってくれた。
その2人の先生に押されて帰ってくるオカンのベッドが帰ってきた。
オカンよりも先生の表情が気になる。。そこから何だか暗い雰囲気を感じ取ってしまう。
やっぱり失敗だったんだ、、、
そして先生が手術の事を告げてきた。
先生「予定通り終わりました。」
わたし「え???凄く早かったですよね、あまりに早いので失敗だったのかと・・・。」と私。
先生「時間多めに見積りすぎました。あと時間はできるだけ短いほうがいいんで集中して早く終わらせました。」
まさかの大成功という事になる件に、ビックリで^^;
良いのか悪いのかは解らないがオカンの運の強さを感じずにはいられない。
そしてホッとした事はい言うまでもないが、悲しい事にそこに喜びを感じはしなかった。
だって、これで助かる訳じゃないから。
先生によると、手術中気になったのは痰が酷いとのこと。
恐らく肺が良くないのだろうが、今度内科の先生とも相談しながら方向を決めていくが、これからどうなるのか、どうしたらいいのか、どんな嵐が待ち受けているのか、全く先が見えなくてただただ不安になる。
一先ず手術が成功したこと、オカンが順調に回復してくれるようそこに集中するしかない。
そして、手術を終えた痛々しいオカンの姿を見て、ホッとした気持ちも消える。
いつかどこかで聞いた、「脳は神の領域」みたいな言葉が思い出され、
私はとんでもない罪を犯してしまったのではないかという気持ちでいっぱいに。。。
そしてこの数時間でこの頭が開けられ脳がむき出しになり閉じられたことがこれまた信じられなくて。
この現実が幻のように感じられた。
この現代社会が恐ろしくも思えた。
先生によると術後は興奮しやすいとのこと。
術後は頭にまだ血を排出する為の管が通っているため絶対安静にしないといけないのだが、案の定今さっき手術を終えたとは思えない暴れようで、何度も起き上がろうとして危険極まりなく、激しく監視が必要、私もトイレに行くこともできないしこのままだと家にも帰れない、、となって、
足&胴体&手に加え肩も抑制する事に。
それで少しは落ち着いたが暫く観察が必要と、一旦家に帰った糞ジジイにもう一度来てもらい、ダイヤの散歩させるため私は一度家に帰った。
糞ジジイが散歩に行けたらいいのだが、ノーリードで適当に散歩するのが目に見えるので危険で行かせられないのだ。
オカンは幸い、麻痺も出ておらず運動機能的な後遺症はなくそこは安心したが、話しかけると
「どちらさんですか?」
そして「助けて頂いた方ですか、、、ありがとうございます、、、」と泣き出す始末。
認知機能が悪化してしまったのだろうか、、。
まだ手術したばかりなので落ち着いてみないとはっきりとは解らないが、認知的な面が少しでも改善されてほしいという願いもありの手術だったからそんな姿を見るのはとても悲しい。
そして、手術翌日の夜からご飯の許可が出たオカン。スムーズだ。
48時間ぶりのご飯。といっても手術前夜ほとんど食べてないからもっとか。
自分で食べるのは厳しそうだったので私が口に運んだ。
不安定ながらも完食。ちゃんと食べれるまでになって良かった。
オカンが少しでも穏やかな時間を取り戻せますように。